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2010年2月14日 (日)

「アマデウスへの旅」in庄内町

「アマデウスへの旅」in庄内町。待ちに待ったコンサートのその日がとうとうやって来た。
ところが、田舎住まいの悲しさ、13時半から居住地の「砂越地区に水田及び耕作所有地を有する者は、組合員と見なし脱退は認めない」という「砂越第三実行組合」の総会に、連絡員5名の一人として参加しなければならない、困ったことに……。自家では一切耕作せず農作業の一切を委託している、言わば地主様? だが、猫の額ほどの耕作地を所有しているばかりに、こんな義務もつきまとう。
そんなことで、総会をなんとか中座し会場の「響ホール」に到着したのは、開演15分前。先に会場入りした家内を探し当てホール中ほど「す列12番」の座席に着席したころには、既に飯森範親によるコンサート・プレトークが始まっていた。

今日のプログラムは、前半が、管楽器を交えない弦楽合奏で、
  ディヴェルティメント ニ長調 K.136
  アダージョとフーガ ハ短調 K.546
  セレナーデ ト長調 K.525 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

休憩の後、実質的には今日のメイン・プログラムと私は見ている、
  ホルン協奏曲 第3番 変ホ長調 K.447
ホルン独奏は、山形交響楽団首席奏者八木健史氏。飯森さんは、プレトークで八木さんを日本のホルン奏者の中でも「トップ3に入る、いや、ベスト・ワン」と言えると紹介されていたが、全く怖いもの知らずで、そんな方を本校音楽部に……。果たしてよかったのだろうか……。

最後は、最近モーツァルトの真作であると確認された、
  交響曲 ニ長調 K.95
なんとモーツァルト12歳の作品とか……。弦楽5部にFl2、Ob2、Fg1、Tp2の編成によるこの曲、勿論初めて聴いたが、初めてだったからこそであろうか、この曲が一番興味深く、最後まで楽しく聴くことができ、今日のコンサートでは出色の出来のように思えた。

クラシックに精通している人でなくとも知っているであろう「アイネ・ナハト・ムジーク。有名な曲であるにもかかわらず、音楽部ではこの曲を敬遠していて、少なくとも私が担当するようになって5年間、一度もプログラムとして取り上げたことはない。どうしてもっと有名曲をやらないのか、たとえば「アイネ……」という声もあるにはあるが、有名曲は聴く方でしっかりイメージが出来上がっている分、演奏上の難しさを感じる。
同じことは、「ディヴェルティメント ニ長調」にも言えるが、こちらのほうは2楽章の「アンダンテ」のみ一昨年演奏している。
けれども、このニ長調については、一昨年「希望ホール」で聴いた小澤征爾指揮、新日本フィルの印象的な名演が今も耳に残っている。
今日の演奏はどうだったか?
ピリオド奏法をとる山響の演奏を、およそ様式を無視した新日本フィルのそれと比較すべくもないが、今日の山響の演奏はいつもとは異なり、なんというか硬質な印象を伴うものだった。それは奏法のせいということだけではなく、また思いのほか入場者が多く響きが殺された? かと思われるホールのせいでもないと思われた。

コンサートの後概して辛口の批評に終始しがちな家内の見方と、今日のコンサートに対する私の直感的な印象とが、めずらしく一致した。
プレトークでも「このホールにはモーツァルトが合っている」と誉めちぎられていた「響ホール」での「山響モーツァルト」の響きが、普段の山響の演奏から想像したその響きとはあまりにもかけ離れた異質なものに感じられたのだ。
今日のコンサートでは、本来であれば特別首席コンサートマスターの高木和弘さんが座るはずのコンサートマスターの椅子に、長岡京室内アンサンブル森悠子さんが座った。森さんは高木さんや2nd.Vn首席奏者のヤンネさんの師匠筋にあたる人とか。そうした著名な演奏家を迎えることで刺激を受け吸収することも多いのだろうが、こと今日の公演に限っては、公演の経験回数も少ない(山響の「響ホール」での公演は今日が2回目)ホールでの演奏と、「モーツァルトシンフォニーサイクル」という継続的なシリーズの中での起用はどうなか、全く素人考えの単なる印象批評に過ぎないのだが、これまでにない(いい意味ではなく)山響の響きの直接の原因は、その起用にあったように思われた。

八木健史氏独奏のホルン協奏曲。ホルン協奏曲第3番は、実は一昨々年の8月、同じ「響ホール」で行った音楽部の「第35回記念定期演奏会」で、筑波義厚氏のホルン独奏で演奏している。弦楽器にとってはかなりの難曲だと思う。
前回演奏した際もそうだったのだが、ベルが後ろを向いているホルンという楽器の性格上、客席に対するベルの向きの角度によって、客席に到達するホルンの響きに大きな違いが生じる。推測するに、今日の八木さんは、第1楽章の演奏を終えて第2楽章に入る前に、ベルの向きを少し外側に、ステージ下手のほうに振ったように感じられたが、それで正解だった。第1楽章ではステージ奥の反響板を経て間接的に聞こえていたホルンの音色が、側面の反響板に当たることで客席にはより直接的に聞こえるようになった。何かそれまでもやもやしていたものがすっきりと晴れたような印象だった。
八木さんの音色を家内は多彩な音色と評していたが、私はむしろ、音域にかかわらず均質な音色だと思った。これは、ソルノク響の来日公演を振ったマエストロ井﨑正浩さんが、ベルリン・フィルのバボラークのホルンの印象をそう評していたのだが、力みなく丁寧に一節一節歌っていく八木氏のホルンにも同じようなものを感じた。
けれども、欲を言えばもっと何か欲しい、と感じたのは、素人考えだろうか……。

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